FC2ブログ

コンペ・コンクール

公募団体について思うこと。(絵画コンクール(公募団体展)の授賞式に行ってきて感想)

今回は長文になってしまいました。
ですが、たまにはも吐いてみます。
アートに興味のあるアマの方には参考になることもあるかも。。しれません。
長いのでテキトーにどうぞヨロシクお願い致します。

toubi.jpg 
東京都美術館

1280px-National_Art_Center_Tokyo_2008.jpg 国立新美術館  出展:Wikipedia


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
公募団体の実態と問題点                   

年も出してみた公募団体展の審査結果が授賞だったので、懇親会を兼ねた授賞式に行ってきました。
率直に今回は僕はこの画壇に二回目の出品ですが、前回よりも見えてきたことがあって印象が少し変わりました。
それは公募団体などの画壇に関わる以前から解っていたことですが。。
美術をよくご存知無い一般の方にも解りやすく説明しますと公募団体とは日展、院展、二科展、独立展。。などの名前で毎年一度、国立新美術館か東京都美術館で行われている美術展です
そしてそれは主にアマチュアの美術の組織であります。
つまりプロの作家がほぼ居ない。1割もいません。
会によって多少の違いはありますが、どこの団体も組織内の大多数がアマチュアです。
(美術の世界ではプロとアマの明確な区別がありませんが、個人的にプロとは企画ギャラリーに取扱になって販売を定期に行っている状態と定義します。ちなみに自分はその境界にいます。そのことから、このブログのタイトル通りで自分では画家やアーティストと名乗ることはしていません。)
僕は団体に所属はしていませんが、関わる以前からこういう現状は知っていました。

アマチュアだと美術活動をしていて、ある一定レベルの活動しかできません。

どういうことか、いくつか上げると、
・ギャラリーで取扱作家になって企画で販売や、デパートで展示即売することが難しい。
アートフェアに出品できない(アートフェアとは作家がお金を払って出品するアートイベントとは違います。出品単位が作家でなくてギャラリーとなります)
メジャーな美術雑誌(アートコレクターズ、美術手帖、美術の窓、月刊美術)に定期で特集されない。
学芸員、ギャラリスト、コレクター、キュレーター、現代美術作家や若い作家に注目され難い。

などまだ他にも細かいことは色々とあるでしょう。


公募団体(日展、日本美術院、二科会、独立美術協会、白日会等々。。。)については、昔はプロ、今はアマというスタイルを感じます。

昔のように美大を卒業しただけで作品が売れていた時代や、画壇所属でプロとしてギャラリーで作品がポンポン売れていた時代はバブル崩壊時期辺りに終わりました。
または美大卒業というだけで、ある種ブランドだったわけですから作家にとっては良い時代だったでしょう。
今はギャラリーも実力が無いとなかなか売りにくいし、力の無い作家は飼い殺しやギャラリーがドンドン切り捨てていっている無情な時代です。

そして現在は公募団体がそもそも注目されていないので、若い人は元より、プロとしてやっていきたい人にとって団体に所属する意味が希薄になっていってしまったと思います。
公募団体は時代にあぐらをかいて来たのかもしれません。
団体の人たちの作品の中身は昔も今も大差が無い気がします。
売れていたのは時代がそうだったからとしか思えません。
今もメジャーな団体は個人的に分析すると、他ではやっていないような独自で面白いイベントや動画のネット配信や作家の原石となる学生を大きく呼び込むための行いなどを努力して来ました。
そういう努力をマイナーな団体はしているのか、と思います。
年に一度の全国展となる公募展の他に都道府県の支部展やクロッキー会、写生会、懇親会、どこの団体もやっていることをしていて差別化など出来るわけがなく、独自で人を(特に息の長い若者)を呼び込む仕掛けを構築しない限り廃れて当然です。
しかしマイナーだけでなくメジャーも共に公募団体は時代に徐々に追いついて来れなくなりました。
その理由は団体に所属してもプロになれないことが大きいと思われますしかしギャラリーに所属すれば即プロとしてグループ展からスタートできます。うまくいけば個展になり、デパート個展も出来るでしょう。
アマに教えを請うて研鑽を磨くか、プロとして厳しいアートマーケットの中、自分の作品を磨いていくかは個人の自由ですが。。


団体所属の人達の固定観念                        

今回の団体の中で偉い先生方の1人に言われました。
まとめると、
「作品をとにかく描きまくれ。世に発表なんてまだまだするもんじゃない。ましてや海外なんて行くのは違う。」
ぼくは何故なのか理由を伺ってから理路整然と反論したかったのですけど、祝賀ムードの中そういう状況ではなかったのでやめました。

作品を描き続けることは大事です。
でもそれと世間に評価されることも同様に大事なハズです。
ずっと家で篭って制作していて何になるのでしょうか。
いつ「時は来た!」になるのでしょう。
年老いてからでないと成功してはいけないのでしょうか。
こういう先生の元で教わっている生徒さんは自由を制限されていることでしょう。
僕なら真逆で何でもOK。やったもん勝ちと言いますけどね。。
ですが、この方の言われた言葉一つを取り上げないで、言いたいことの趣旨を思うと自分も少しは理解ができることがあります。
それは、美大の卒業展でギャラリーにスカウトされて作家として作品を突き詰める時間も無くプロとしてマーケットの場に立つことへの警告です。
僕もそれはあまり良いことではないのではないかと、あらゆる面からそう思っています。
何故ならマーケットに出す作品は”売り絵”になるからです。
しかし世に残る作品はその売り絵です。
マーケットの場に立っていない人の作品がメジャーになるケースは少ないでしょう。
誰も知らない人の作品が世に残るでしょうか。でも誰も知らなくても凄い作品を作っている人も希少でも居るかもしれませんが、それで作家をやっていて楽しいのでしょうか。満足なのでしょうか。
”時が来る”のをひたすら待つのでしょうか。
(注)それと売り絵が悪いわけではありません。ある程度のブランディングが出来れば手抜き作品でも売れるので生活のためにいつも描いているお決まりの冒険心の無い作品のことを僕は売り絵と思っています。それも買う側の自由ですが。
作家は作品がブランド化できるような立場になることが成功と思います。
作品が良いからと無名でも買うなんてことは概ね10万以下の作品だけです。
いくら欲しい作品があっても40万したら、無名ならさすがに買いませんよね?
無名ならその作家の今迄の展示歴やどこのギャラリーで扱われているか、これからの展開など色々今後育っていくかどうか必ず画商に聞くと思います。
高額商品は無名じゃよほど金持ちでないと買われません。
結局作家ブランドで買うんです。ハイアートは投資目的で買われるものだからです。
この作家だから買う。それでいいんです。そこまでブランディングできることが並大抵ではないのですから。


話をクラシックな場に戻しますが、
去年から画壇のイベントに機会があれば全部参加して色々な方々とお話してきました。
その中で、ある共通したセリフが聞こえてきました。

「何十年も描き続けてこそ良い作品が描ける。」
「画家は晩年になってからこそ」
「実際に観て描く。何百枚もデッサンを描く。」
「作品を販売することは悪しき事。ひたすら制作をして、もっと純粋になることが大事。」

このようなことを言われる方はまるで”言い伝え”のようなセリフを考えなしに自動的に発言されている印象を感じました。言葉が悪いですが、このような”綺麗事”は今まで展示会場に来客される方にも居ました。そして決まってこういうセリフを発言される年代があります。僕だけでなくても、公募団体やクラシックな場所で活動されている方はよく聞くセリフでしょう。学校の美術の先生もこういうことを言っているかもしれません。何故ならアマチュアの方が言う常套文句だからです。プロは常に販売していますから。


作家としての心構え                    

描き続けることなんて、凄いことでも偉いことでも何でもなくて、それは作家を志すなら最低条件です。つまり当たり前の話です。
描き続けて描き続けてそれだけで一流になれるのか。一流の作品が描けるのか。描き続けても毎年代わり映えのしないような作品を量産していても、出来ることを続けていて成長があるのでしょうか。
出来なかったことをしてこそ成長でしょう。
ぼくは自慢じゃないですが、誰よりも描いてこなかったです。
しかし完全に独学ですが、新しい挑戦はしてきました。その結果、描き続けることを信念とされている方々よりは、年齢も若いにも関わらず、作品は紙一枚は上手なんだろうと思っています。
年齢なんかアートに関係ないです。若くても凄い人はいますし僕は認めています。
作家は経験値ではなくて、発想と挑戦してきたかどうかと思います。
何十年も同じような作品を描き続けた人は挑戦は数少なかったのでしょう。
それは楽だからです。新しいことに挑むのは疲れますし、上手くいかないときのストレスや挫折は誰でも嫌でしょう。
でも偉そうに語っている方がおられたら、御自身の美術界の立ち位置を俯瞰で御覧になってほしいものです。
会の中や、一般の方の前では偉いかもしれませんが、そこから外に出たらどうでしょう。
プロで活動をコンスタントにしていなければ学芸員やギャラリーや雑誌社やキュレター等の、プロのアートの世界では正直無名でしょう。
色々言えるのは自分より実力が下の人に対してだけです。それ以外に語っても説得力に欠けてしまいます。


ぼくも偉そうになんて言えません。
ただ向上心だけは持っています。
苦しいことをしなければ成長しません。
描き続けることは苦しいことではないはずです。
もし、それが苦しくて挑戦し続けることが出来なければ、それまでの次元なのでしょう。


ぼくは、ぬるま湯が実はそんなに好きではないのかなと思いました。
今までずっと自分独りでコネクションも忖度も何もないまま、活動してきたので正直ギャラリー所属してる作家とは違って厳しい中で実力で、ショボい作家もどきですがやってきました。
デパートで展示できたのもコンペで授賞してさらいスカウトされたからで、東急個展もその活躍を雑誌で掲載してもらってきたからこそです。でもそれも美大の新卒でギャラリー所属してる若い作家には別段凄いことではないかもしれません。デパート個展などはギャラリーのオーナーや画商の繋がりがあれば、やらしてもらうことなど珍しくはありませんから(しかしほぼ新卒採用しかしていない今の時代ではギャラリーの取扱になることが困難ですが)。

こういう環境でアート活動をしてきた僕は、馴れ合うくらいなら競争を求めます。
褒められるより、けなされて怒りや闘志をエナジーに変えるやり方に慣れてしまったのかもしれません。
とにかく僕が刺激がないとダメなんだと思いました。


あとは、会に関わる優秀な人が現れたらその人に、
「辞めないでね。」
は言わないでほしい。
その言葉は人の自由を制限する言葉です。
そういう存在が現れたら誰かしら口にするでしょう。
縛り付けるメリットはむこうには在るかもしれない。
しかしこちらにメリットが無ければ意味がない。
僕は人を縛り付けることは昔から一切しません。
むしろ大きく羽ばたいてほしい。
その結果自分の元から去って行っても一向に構わない。
それが自分の親友でも兄弟であっても。
自分も大きくなれば良いだけの話。

ぼくはアートを趣味でやっているのではありません。
アートは本気の遊びとしてやっています。
趣味とは言えない。しかしそれで食っていく事ができないから仕事とも言えない。
本当は堂々と遊びじゃなくて仕事と言いたい。
だから情で動いてはいけない。
そしてビジネスなので自分にメリットが無ければ当然ダメなのです。


これからの公募団体について                    

なんだか長くなりすぎてしまいましたが、
公募団体にはプロ育成でなくアマの団体として、それはそれでイヤミではなくて、ユルくやっていかれたい、ノンビリ平和にやっていきたい方々には良いと思います。

絵を描く作業は孤独です。色んな人と交流して評価し合って独りで描いているより刺激になるでしょう。
しかしこのままでは若い人がなかなか入って来ないので、存続し続ける意志があるなら時代に合わせて変えていかなければならないのです。
それぞれの会の創立者の信念・想いを変える必要はありませんが、独自の魅力は作り上げて発信していかなければ、今いる大多数のご年配の方が世を去る30年後は無くなっているかもしれません。

展示以外の今の時代に合わせたやり方で会を存続させてほしいものです。
今ご年配で会に所属しておられる方々はご自分たちが若い頃に先輩方が若い世代に向けて作り上げてきた会なのですから。



今年も画壇の公募(コンクール)に挑戦した結果。。

timeline_20180518_050211a.jpg 



結果通知の封筒が届きました。


去年はじめて出展した画壇の公募
がありましたが、早いものでもう今年の公募の時期になりました。
「もう一年経ったのかあ。。」
と、年々月日が経つのが早くなってきて、そう思いますよね^^;
ホントにボーっとしてるとドンドン時間だけが過ぎていきますね。あーコワイ

で、結果ですが。。。

デビューしてから初めての大作

4b1.jpg すー Lost fantasy

 F100号描きました。”すー”の作品では初めての大作です

 F130号を描きたかったのですが、部屋が6畳なので100号が壁いっぱいにしか入らなく、断念m(_ _)m
 初めて人物以外の物体(バズーカ、ピストル、不発弾)をリアルに描いてみましたが、一発で上手く行ったのでよかったです。
大体何を描いても一発で思うように描けます。絵は努力ではなく、発想だと思います。何をどういう風に使えばうまくいくか想像できれば、経験なくても失敗はないです。搬入でバタバタしてて一眼で撮影する時間がなかったので、返ってきたら撮影して細部もアップします。
 という能書きばかりですみません。。