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引き篭もりから脱した話

中卒の引き篭もりが母から贈られた本がキッカケで大検取得→美大(多摩美)に合格した過去:前篇

部屋の大掃除ならぬ大片付けをしていると一冊の本が出てきました。

「だからあなたも生きぬいて」

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弁護士の大平光代さんが書いた本です。


「懐かしい~~」

昔のことでも、ついこの間のように思い出せます。



この本は僕が人生で最も辛い状況に落ちていった中学を卒業してからの10代の時に母から渡された唯一の本です。
母から本を勧められたり、もらったのはこの時だけでした。

どういう本なのか大雑把に言うと、
小学生のときにクラスメイトのイジメで自殺未遂(お腹をナイフでブスブスと割腹)それから非行に走り、極妻、離婚後に水商売。人生どん底で無学で人の暖かさから離れていった人が、ある人の優しさに触れてから、変わりだし、一念発起で小学生の教科書から勉強を初めて、宅建→司法書士→と資格を取得。そして次に一発で司法試験を取得してしまう話です。
ちなみに弁護士になってからは自分と同じ非行に走った子供達と接していたようです(今現在の様子はわかりません)。
僕の下手くそな説明でこの本の印象を変えてしまうと良くないので、詳しい情報は大平光代さんのwikiに飛んでみてみてください。


この本を見つけたついでに自分のちょっとワケありな過去をお話してみます。
今年は個人的に大きな決断、心機一転、区切りの年ということもありますし。。

まあ大平さんと比べたら自分なんか全然ですが。



今回の記事はとても長いです。
更新回数を稼ぐ為に同じ話を細かく区切って公開していくようなやり方が好きではないので(例:美大受験パート②とか)一気に書いてます。
(とは言ったものの、、ものすごく長くなったので話を2回に分けました。。
いつまで経っても次の記事や日記などが書けなくなってしまうので。。)






そして
僕のことを知らない方のためにジコショーカイ。
作家名は「すー」と申します。
リアリズムというリアルな描写技術と質感と、それとは対象的に空想のファンタジーな世界観とタッチでHybrid Realism(ハイブリッド・リアリズム)というオリジナル画法で人物画を描いています。

Lost Blue  ←クリックで拡大
世界絵画大賞展 ターナー色彩賞






中学を卒業してから引き篭もりになるまで

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では冒頭の続きです。

この本を渡されたときの状況を少しだけ説明すると、
当時、僕は横浜の少々荒れた中学を卒業してから、高校には行かずに、すぐに”引き篭もり”になってしまいました。
(どのくらい中学校が荒れていたかと言うと、まだ中1のときから不良達は元体操選手の男性の担任を本人の前で呼び捨て、背中を飛び蹴り、授業時間でも好きなときに外出、授業中に全部の教室の窓をホウキの柄で一枚づつ割る、特定の生徒へイジメ&暴力など)

中学はなんとか通いましたが高校には行かない自分と比べて、ちゃんと”通学”という学生の”お仕事”をしている幼馴染や友人と、なにも務めを果たしていない自分を比較したのです。



まあ最初は学校から帰宅した友人達とも遊んでいましたが。。
それもすぐに考えが変わりました。

彼らが自分とは違う強い存在に思えてきました。

それに引き換え自分は「なんて弱い男なんだろう」という思いが増して、彼らから、そして家族からも自ら遠ざかって行きました。
(ちなみに高校に行かなかった理由は”イジメ”ではありません。
イジメはその前の時代に中卒までの6年間ずっと続いて来ましたがそれはまたの機会にお話したいと思います。)

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家族と一切顔も合わせず、会話もせずの期間は半年ほどでしたが、精神的ダメージが酷くて肩まで伸び切った髪はスカスカ。毎日毎日死ねない自分が情けなくて生きることも放棄している感じで、何もやる気がせず、誰とも顔を合わせず、ただただ毎日ボーっとしているだけの虚無感と強烈な孤独感と悪夢の日々を過ごしていました。



そもそもなぜ進学しなかったのか。

それは自分の空虚な高校生活を鮮明にイメージしてしまったことが理由です。

中学を卒業してからハッキリと
「勉強もしないのに3年間も学校に行くのは意味が無い」
と、勉強を全くしないで神奈川の工業地帯にある最底辺高校に通っている自分をイメージしました。

勉強は大嫌いでした。それは信念というか執念?いや、怨念に近い感情で”勉強は絶対にしない”と決めていました。
勉強は両親の押しつけの反動で小学5年頃から意地でもしなかったので(どこの家庭でもありますよね)、そのまま高校に行っても1時間目から5,6時間目までALL聞いていない授業をただ座ってぼーっと過ごしている自分を想像して「なんて無意味なんだろう」と思いました。

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実際中学ではそのように過ごしていました。
毎日教室に入って席に座った途端寝てるか、漫画を描いているか、スーパーファミコンのゲームの妄想などをしていたくらいなので。(でも意外にオタクでは無かったのですね。ゲームも漫画もオタクになれるほど夢中になることもなくて、ただただ「早く義務教育終われ。」と思って過ごしていました。)

中2のときの授業参観の時でも、大勢の父兄の眼の前でも僕は一番後ろの席で一人だけ机に顔をつけて寝てました。すると後ろの知らないお父さんが僕に「起きなさない」と注意されてしまったこともありました。

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中3になって余裕が出てくると学校もギリギリ出席するようにしました。
確か1/3の出席さえしていれば留年しないとかだった気がします。
自分で大雑把に計算して3日おきに学校に好きな時間に僕だけ登校したりしていました。
「今日は昼過ぎでいいや」
「明日は2時間目から行こう」
「明日も明後日も行かなくていいや」

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好きな時間に行くし、行きたいときだけ行く。
これも全部義務教育への抵抗・反発でした。
小学校のときは女子全員から。中学になると女子全員+不良から。そしと教師や塾の講師のイジメもあったことが反動になって「学校に関わる全て」への強い負の感情がそうさせていました。
僕にとって小学校から中学卒業までは学校という場所は楽しいというよりも屈辱恐怖が占めていました。




でもあとで、
「勉強しなくても高校には行っておけばよかったなあ。。」
とは思っていました。
クラスの皆と過ごしたりすることで社会性が多少は身についたでしょうし、それより何より青春時代を空白で過ごしてしまったことを後悔しました。皆が学校の友人とどこかに行ったり遊んでいたり、一緒に楽しくやっているなか、自分は孤独にバイトしている時期があったり、部屋で油絵を独学で描き始めたりしていました。



学校も行かない自分が情けなすぎて友人とも家族とも顔も合わせられなかったんです。





分岐点

ダウンロード (1) 
今まで自分の人生に影響を与えた自己啓発などの本はいくつかありますが、
この本が最初に僕の人生の軌道を少し変えたのかもしれません。
(※本の紹介がメインではありません)


今でこそ僕は間違えて美大(多摩美)という無意味な機関を出て(卒業して)しまいましたが、
それ以前は実はずっと中卒でした。

中卒後にすぐ”引き篭もり”になってしまったんです。

その時の詳しいお話はまた後ほど。

とにかく、
中学を卒業してからも勉強を今までしてこなかった自分が初めて真面目に勉強をしてみる気になれたキッカケがあの本でした。



ーーー話を戻します。

「なつかしいなあ~~。。。」
手にとって全部また読んでみました。

これは再度購入したもので、最初に読んだ本より改変が進んで少し過激な内容がマイルドに変わっていると思います。
確か大平さんは勉強に望むときにいつも「起きてる時間はほぼ勉強していて椅子に足を縛り付けて、眠くなると針を手の甲に刺していた」という描写があったと思うのですが、その部分が削除されていました。この部分が僕に勉強の気を起こさせた個人的に大事な箇所のひとつだったのですが。。

でもこの方ほど、どん底の状態から這い上がった人ってなかなか居ないと思うので、あれからなにか辛い目に合うと「自分なんて大平さんよりは全然マシだよなあ」な~んてたまに思うんです。

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ヤル気スイッチ

当時、この本を読んですぐに10代の僕には大きなヤル気スイッチが入りました。

毎日生きもせず死ねもせず、ただ強烈な孤独感に苦しんでいる悪夢の日々が続いている自分に、将来は大学は出ておかないと「いよいよヤバイ」と漫然と思っていた僕は、これを契機に大学に行くために勉強を始めることにしました(と言ってもたかが美大ですが)。
僕は高校には行っていなかったので、まず大学を受験するための権利を獲る為の”大検(大学入学資格検定)”を取得することにしました。
大平さんを見習って、無学だった僕も小学生の”算数”、”国語”の教科書から書店で購入して人生で初めて本気で勉強を始めました。

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大検は、ぼくの時代は2001年以前の試験で、合格ボーダーラインも今よりは高いですし、必須科目は11科目。おまけに年にたった一度の試験(8月)だったのに対して、今は8科目。しかも試験が年に2回に増えています(大検は2001年から科目数及び試験回数の変更が始まった)。
4ヶ月の勉強で11科目のうち10科目取得したけど、たった一科目逃したために翌年夏の試験まで一年間待った僕は「(今の受験生は)すげーラッキーじゃん。。。」思ったものです。
大検(現在は高卒認定試験という名称)についての詳しい話はまた後ほど。。


まあ人それぞれヤル気スイッチは違いますが、当時の自分にはこの本がヤル気スイッチを押してくれるキッカケでした。




当時を振り返って

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多分当時の自分は”生きがい”が必要だったのだと思います。
生きる意味をしょっちゅう考えていました。
生きる為の意味を見つけて何かに頑張りたかった。
それで何も取り柄のない自分に自信をつけたかったのだと思います。
この頃、映画雑誌の人物などを観たまんま描いたりして、絵は描いていましたが、自分の絵を誰とも比較したことも無いし、中学以来他人の絵すら観たことがなかったので自分の絵が「上手」などとは全く思えず、むしろ
好きな絵も下手だし、スポーツも出来ないし、頭も悪いし、友達もいないし、(人間的に)弱いし、なんにも無いんだなぁ。。」
そう信じていましたし、実際そうだったと思います。

でも今でこそ思えるのですけど、何かに秀でたものを持っている人のほうが少ないし、なにも無きゃ無いで良いのですけどね。

DSC_0098c4.jpg ←10代の当時部屋で描いていた油絵 (クリックで拡大)
(映画雑誌に掲載されてる写真を参考)




大検合格。そして。。

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さて一年越しに数学だけ受験して合格。
これで当時必要だった全11科目を取得したので晴れて大学を受験出来る権利を取得しました。
(でも正直大検などより、高校を卒業した人の勉強量のほうが圧倒的に多いです。
大検はあくまで大学を受験するための権利でしかありません。)


「とりあえず大学に将来は行っておいたほうが良いんじゃないか」
と思って取得したので、
「行きたい大学が出来たら、いつかそのうち受験しよう!」
くらいに構えていました。

そしてそのまま数年が過ぎーーー


自分が「絵が好きなので美大に行ったら良いのでは!?」と思いました。

それからそのまま独学で自由気ままに勉強と絵を描いていました。
そしてそのまま雪の降る中の2月の真冬の受験で初めて美大に行き受験してきました。


ー後編へ      

ーーーーーってめちゃめちゃ長くなってしまって、この記事に更に時間がかかりそうなので不本意ですが続きは、また次回にしますm(_ _)m(パート②とか嫌だとか言ってたのにスミマセン)

色々と話すことはまだあるので、もうしばらくお付き合いください。