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横浜~沖縄に移住するために引っ越し準備

こんにちは。
突然の報告ですが、




私すーは思い切って横浜から沖縄に引っ越します!

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なぜ沖縄なのか。

僕は今まで北海道~四国&四国一周を自転車で野宿しながら数ヶ月旅しましたが、その中でも
「沖縄には一生行くこともないだろうな。」
と思っていました。
海も島も興味もないですし、食わず嫌いでしたが、
いざ行ってみると
「人がすごく親切で温かい。。」
という印象に変わりました。
実際に住んでみたら色々と気がつくことが多いと思いますが。。

都会生まれの自分は東京のような都会が嫌いでした。
そのうち都会から離れて生活したいと思っていたので地方での暮らしに興味を持っていました。
環境が良い、利便性などで住みやすいなど、それぞれ魅力に感じるポイントはありますが、その中でも”人が良い”というのは一番良いのではないかと思っています。

人や物は多いけど忙しさと寂しさに囲われた東京のような都会よりも、ゆったり南国雰囲気な沖縄は都会で暮らしてきた自分には魅力です(正直まだよくわかりませんが)。


何度か沖縄には足を運んできましたが、いよいよ移住することにしました。


というわけで
思い切って沖縄に引っ越すための準備を始めました。




引っ越し準備1(歯医者)


まずは、歯医者の治療をこっちで完璧に終わらせました。

虫歯じゃないのですけど一年ほど前に歯の根元が中で折れてしまったので永久歯を初めて抜いたのですよね。フリーウェイトでパワーベルトとか装備一切無しで110kgのバーベル担いで連続フルスクワット11repsとか、尻上げ無しの胸当てベンチ120kgとかハードな筋トレを数年前までしていたので歯を食いしばっててダメージを追っていた歯が折れたのかもしれません。

で、処置完了。
外に出ると歯科の表にクリスマスツリーが。

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実はこの時はクリスマスでした。



引っ越し準備2(パスポート)

さて次に一応海外でアートに挑戦するかもしれないので準備としてパスポートを申請しに行きました。ぼくは横浜市なので横浜の港の方のパスポートセンターに行ってきました。

昔の時代の横浜の定番ナンパスポットだったという山下公園の直ぐ側です。

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山下公園の通り



パスポートセンターはこのビルの2階にあります。

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前に行ったときも混んでいましたが、今回も混んでいました。
まあいつも混んでいるイメージですね。

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前は10年パスポートにしましたが結局タイに1回行ったきりで期限切れ。。
だったので今回は5年にしました。


最後に唯一好きな横浜の港を観てきました。


さっきの建物の向かいの道路を横切って。。
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すぐ港です。

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timeline_20190112_210812.jpg



timeline_20190112_210813.jpg   桜木町方面のクイーンズスクウェア


桜木町のみなとみらい~このあたりは道路の広くて人が少ない割におしゃれな雰囲気で壮大な海が眺められて本当に好きです。
外人さんも多いし大きな巨大客船も停泊しています。
この景色が見れなくなるのは少しさみしいです。
一度だけスケッチブックを持って港で舟場を写生したことがあります。

最後に横浜中華街行くつもりでしたが、ちょうどこのときに顔の一部が皮膚病になってしまったので行けなかったのが無念。。(植物油が駄目なので)




引っ越し準備3(荷造り)

次は大事で荷造りです。

「作品の荷造り」                       

最初にいちばん大事な全作品の梱包をしました。

3号~100号までサイズに合わせてダンボールを作って梱包したので何日もかかりました。
一枚づつプチプチのエアキャップで包んで作品に合わせてダンボール裁断して相当丁寧に作ったので結構しんどかったです。
でかい作品は一日一個づつ箱を作って梱包しました。

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30号数枚の梱包

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50号二点の梱包



そしてこれが大物の100号4枚入り。
これだけで2m×130cmほどの8mmマックスの分厚いダンボールの板を4、5枚使いました。
これ作るのマジで大変でした。
大きなダンボールを部屋で裁断するためのスペースを作るところから始めないといけませんでしたから。

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この他にも作品のダンボール箱をいくつも作りました。




「私物の荷造り」                        

それから私物の荷造りです。

私物ではまず最初に不要な名刺を全部処分しました。

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どれだけあるかわかりませんが、
名刺は個人的には要りません。
日本の名刺交換の文化もあまり好きではありません。
多かったのがデパートの方の名刺でした。デパートに限らず名刺なんかもらっても、自分には100%意味ないですからね。
興味があるなら、どちらかがその場で連絡先を聞いたり、次の展示の引き込みやスカウトなどしてきますし。
いつも「意味ないのにな~」なんて思って交換していましたが、後半は「すみません忘れてきました」とか正直に「持っていません」などと言って名刺も渡しませんでした。←(常識の無い男)

デパートの方の名刺もギャラリーの名刺も作家の名刺も大半捨てました。
一応言っておきますが、
ヤケクソになっているわけではありませんよ^^;
大切なことは名刺からは始まらないと個人的に思っているだけです。

とにかく
「捨ててしまえ~」
。。という気持ちで捨てました。


名刺に続いて病院の診察カードも結構ありました。
画像は全部じゃなくて、まだまだカードあったのですけどほかは以前捨ててしまったのですが記念にこれは取っておきました。

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案外体弱いんですよね。。

色んな病気にかかって沢山クリニックや大病院も行きました(精神科は行きません。というか行く必要も無いですが)。

こんなんだから鍛えてるし、走ったりもしているんですよね。





それから今まで使ってきた生活用品や私物を荷造りしました。
荷造りと断捨離を同時にしながら、
ダンボールはヤマダ電機やネットで購入して持っていくものを梱包します。

作品以外で一番多かった私物の第一位は”本”でした。

その数なんと10箱以上。。

しかも作品入れた全部の荷物のダンボールの数が43個でした。。。。。


多すぎでしょ。。^^;;

これを横浜~沖縄まで運ぶ輸送費がイタかったです。

しかも何が痛いって、
一番苦労して作った100号4枚が入った大型荷物が送れなかったことでした。。。!!!



ここで作品を輸送している方に向けて説明すると、
ぼくの周りのアート関係者は大体ヤマト運輸を使います。
他に佐川と西濃がありますが事故率やサービスの良さでヤマトがその中では信頼が置けるからです。

そしてヤマト運輸を利用する場合は作品のサイズによって宅急便かヤマト便を使い分けます。

「ヤマト運輸」
宅急便 縦・横・高さの合計が160cm以内
ヤマト便 縦・横・高さの合計が200cm以内
らくらく家財便 縦・横・高さの合計が450cm以内
展示活動をしていて、らくらく家財便はまず使いません。
というか使ったことがありません。
画商が行うデパート展示は美術品輸送専門の業者を手配してくれるので100号でも問題なく運んで
くれます。
今回僕は展示ではなく、引っ越しなのでらくらく家財便を利用しようと思いました。
それとヤマト便とらくらく家財便じゃ金額が結構違います。
らく家財は家具を運ぶ用のヤマトの別の小会社がやってるサービスで高いです。


で、
100号を仕方なくヤマトのらくらく家財便を利用しようと思ってサイズを調べたら、縦横奥行きの合計が350cm以内だったのでEランク。
沖縄の輸送はEランクまでで、それ以上の大きさになるFやGランクの荷物は沖縄までは運んでいないのです。
ぼくはEランクですから沖縄まで運べるはずなので、高額ですが運ぶ予定でしたが、裏設定が発覚して送れませんでした。

まず沖縄までの大型荷物の輸送は日本郵政もヤマト運輸もどこの運送会社も航空便ではなく船便を利用します。
電話でヤマトに確認しましたが船に乗せる荷物は写真のロールボックスパレットに乗せるようです。

img_main.jpg 
出典:http://www.yamatobc.com/box/index.html

そして、たとえ3点の合計が350cm以内でも、パレットに乗せれない長さの荷物は送れないのです。

なので、めちゃめちゃ苦労した100号入りのダンボールが送れませんでした。。。。

沖縄では最大の公募展で沖展というのがあるのでそれに出品しようと計画していたのがオジャンになりました。。
地方の公募展なので作家の画歴にもならない感じですが、沖縄でアート活動(展示・教室など)をしていくためにはここでの受賞や人脈作りも必要なことと思います。

新たにこちらで100号を描かないといけなくなりました。
こっちで生活を整えてから今年の別の公募に間に合わす為に新たに100号描くって考えただけでシンドいです。
下地作るだけでも大変ですしね。。


というわけで荷物を全部送って準備終わりです。



珈琲画

オマケで多摩美のときと卒業してからも描き続けていた珈琲画が出てきました。

す1_html_11c0303c
ジャンボ旅客機 

え1_html_m3e183997 ”Girl” シリーズ

実は美大では写実は描かずに卒業までずっと抽象画を描いていたんですよね。
しかも珈琲画と名付けて描いていました。

この珈琲を使った描き方も今のリアリズムと共に自分で編み出し完全にオリジナルの描き方です。
もちろん作風も独自のもので、この珈琲画のスタイルは今でも好きです。



ここで思うことが、
珈琲とか絵の具ではないものを使って絵を描いている方々が世の中にいますが、それだけだとアート市場では。
「だから何なの?」
と思われます。

珈琲で絵を描くこと自体は新鮮味も斬新さもありません。(イカ墨とかその他の素材も同様に。)

正直、珈琲よりも茶色の絵の具のが当然発色も良く綺麗な色が出ますし。

それをあえて珈琲を使う意味は、
「珈琲という絵の具でないもので描いた」
ということを面白いと思っているからでしょう。
しかし、その次元で完結してしまっているならそれはアートではなく”ただの絵”です。

ぼくは珈琲で描いているときに、
「なぜ絵の具でなく珈琲で描かなければならないのか」
「珈琲で描くことの必要性」
「珈琲でないと出来ないこと」
を説明、科学的にもコンセプト的にも提唱しなければ意味がないと思っています。

偉そうなことは言えませんが絵を”アート作品”と言えるまで昇華できるにはそういう”中身”が必要なんです。
ぼくの珈琲画には明確にそういったコンセプトがあります。

それはまた機会があればお話します。




とりあえず沖縄へ向けての準備完了!

いざ出発へ☆










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中卒の引き篭もりが母から贈られた本がキッカケで大検取得→美大(多摩美)に合格した過去:前篇

部屋の大掃除ならぬ大片付けをしていると一冊の本が出てきました。

「だからあなたも生きぬいて」

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弁護士の大平光代さんが書いた本です。


「懐かしい~~」

昔のことでも、ついこの間のように思い出せます。



この本は僕が人生で最も辛い状況に落ちていった中学を卒業してからの10代の時に母から渡された唯一の本です。
母から本を勧められたり、もらったのはこの時だけでした。

どういう本なのか大雑把に言うと、
小学生のときにクラスメイトのイジメで自殺未遂(お腹をナイフでブスブスと割腹)それから非行に走り、極妻、離婚後に水商売。人生どん底で無学で人の暖かさから離れていった人が、ある人の優しさに触れてから、変わりだし、一念発起で小学生の教科書から勉強を初めて、宅建→司法書士→と資格を取得。そして次に一発で司法試験を取得してしまう話です。
ちなみに弁護士になってからは自分と同じ非行に走った子供達と接していたようです(今現在の様子はわかりません)。
僕の下手くそな説明でこの本の印象を変えてしまうと良くないので、詳しい情報は大平光代さんのwikiに飛んでみてみてください。


この本を見つけたついでに自分のちょっとワケありな過去をお話してみます。
今年は個人的に大きな決断、心機一転、区切りの年ということもありますし。。

まあ大平さんと比べたら自分なんか全然ですが。



今回の記事はとても長いです。
更新回数を稼ぐ為に同じ話を細かく区切って公開していくようなやり方が好きではないので(例:美大受験パート②とか)一気に書いてます。
(とは言ったものの、、ものすごく長くなったので話を2回に分けました。。
いつまで経っても次の記事や日記などが書けなくなってしまうので。。)






そして
僕のことを知らない方のためにジコショーカイ。
作家名は「すー」と申します。
リアリズムというリアルな描写技術と質感と、それとは対象的に空想のファンタジーな世界観とタッチでHybrid Realism(ハイブリッド・リアリズム)というオリジナル画法で人物画を描いています。

Lost Blue  ←クリックで拡大
世界絵画大賞展 ターナー色彩賞






中学を卒業してから引き篭もりになるまで

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では冒頭の続きです。

この本を渡されたときの状況を少しだけ説明すると、
当時、僕は横浜の少々荒れた中学を卒業してから、高校には行かずに、すぐに”引き篭もり”になってしまいました。
(どのくらい中学校が荒れていたかと言うと、まだ中1のときから不良達は元体操選手の男性の担任を本人の前で呼び捨て、背中を飛び蹴り、授業時間でも好きなときに外出、授業中に全部の教室の窓をホウキの柄で一枚づつ割る、特定の生徒へイジメ&暴力など)

中学はなんとか通いましたが高校には行かない自分と比べて、ちゃんと”通学”という学生の”お仕事”をしている幼馴染や友人と、なにも務めを果たしていない自分を比較したのです。



まあ最初は学校から帰宅した友人達とも遊んでいましたが。。
それもすぐに考えが変わりました。

彼らが自分とは違う強い存在に思えてきました。

それに引き換え自分は「なんて弱い男なんだろう」という思いが増して、彼らから、そして家族からも自ら遠ざかって行きました。
(ちなみに高校に行かなかった理由は”イジメ”ではありません。
イジメはその前の時代に中卒までの6年間ずっと続いて来ましたがそれはまたの機会にお話したいと思います。)

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家族と一切顔も合わせず、会話もせずの期間は半年ほどでしたが、精神的ダメージが酷くて肩まで伸び切った髪はスカスカ。毎日毎日死ねない自分が情けなくて生きることも放棄している感じで、何もやる気がせず、誰とも顔を合わせず、ただただ毎日ボーっとしているだけの虚無感と強烈な孤独感と悪夢の日々を過ごしていました。



そもそもなぜ進学しなかったのか。

それは自分の空虚な高校生活を鮮明にイメージしてしまったことが理由です。

中学を卒業してからハッキリと
「勉強もしないのに3年間も学校に行くのは意味が無い」
と、勉強を全くしないで神奈川の工業地帯にある最底辺高校に通っている自分をイメージしました。

勉強は大嫌いでした。それは信念というか執念?いや、怨念に近い感情で”勉強は絶対にしない”と決めていました。
勉強は両親の押しつけの反動で小学5年頃から意地でもしなかったので(どこの家庭でもありますよね)、そのまま高校に行っても1時間目から5,6時間目までALL聞いていない授業をただ座ってぼーっと過ごしている自分を想像して「なんて無意味なんだろう」と思いました。

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実際中学ではそのように過ごしていました。
毎日教室に入って席に座った途端寝てるか、漫画を描いているか、スーパーファミコンのゲームの妄想などをしていたくらいなので。(でも意外にオタクでは無かったのですね。ゲームも漫画もオタクになれるほど夢中になることもなくて、ただただ「早く義務教育終われ。」と思って過ごしていました。)

中2のときの授業参観の時でも、大勢の父兄の眼の前でも僕は一番後ろの席で一人だけ机に顔をつけて寝てました。すると後ろの知らないお父さんが僕に「起きなさない」と注意されてしまったこともありました。

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中3になって余裕が出てくると学校もギリギリ出席するようにしました。
確か1/3の出席さえしていれば留年しないとかだった気がします。
自分で大雑把に計算して3日おきに学校に好きな時間に僕だけ登校したりしていました。
「今日は昼過ぎでいいや」
「明日は2時間目から行こう」
「明日も明後日も行かなくていいや」

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好きな時間に行くし、行きたいときだけ行く。
これも全部義務教育への抵抗・反発でした。
小学校のときは女子全員から。中学になると女子全員+不良から。そしと教師や塾の講師のイジメもあったことが反動になって「学校に関わる全て」への強い負の感情がそうさせていました。
僕にとって小学校から中学卒業までは学校という場所は楽しいというよりも屈辱恐怖が占めていました。




でもあとで、
「勉強しなくても高校には行っておけばよかったなあ。。」
とは思っていました。
クラスの皆と過ごしたりすることで社会性が多少は身についたでしょうし、それより何より青春時代を空白で過ごしてしまったことを後悔しました。皆が学校の友人とどこかに行ったり遊んでいたり、一緒に楽しくやっているなか、自分は孤独にバイトしている時期があったり、部屋で油絵を独学で描き始めたりしていました。



学校も行かない自分が情けなすぎて友人とも家族とも顔も合わせられなかったんです。





分岐点

ダウンロード (1) 
今まで自分の人生に影響を与えた自己啓発などの本はいくつかありますが、
この本が最初に僕の人生の軌道を少し変えたのかもしれません。
(※本の紹介がメインではありません)


今でこそ僕は間違えて美大(多摩美)という無意味な機関を出て(卒業して)しまいましたが、
それ以前は実はずっと中卒でした。

中卒後にすぐ”引き篭もり”になってしまったんです。

その時の詳しいお話はまた後ほど。

とにかく、
中学を卒業してからも勉強を今までしてこなかった自分が初めて真面目に勉強をしてみる気になれたキッカケがあの本でした。



ーーー話を戻します。

「なつかしいなあ~~。。。」
手にとって全部また読んでみました。

これは再度購入したもので、最初に読んだ本より改変が進んで少し過激な内容がマイルドに変わっていると思います。
確か大平さんは勉強に望むときにいつも「起きてる時間はほぼ勉強していて椅子に足を縛り付けて、眠くなると針を手の甲に刺していた」という描写があったと思うのですが、その部分が削除されていました。この部分が僕に勉強の気を起こさせた個人的に大事な箇所のひとつだったのですが。。

でもこの方ほど、どん底の状態から這い上がった人ってなかなか居ないと思うので、あれからなにか辛い目に合うと「自分なんて大平さんよりは全然マシだよなあ」な~んてたまに思うんです。

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ヤル気スイッチ

当時、この本を読んですぐに10代の僕には大きなヤル気スイッチが入りました。

毎日生きもせず死ねもせず、ただ強烈な孤独感に苦しんでいる悪夢の日々が続いている自分に、将来は大学は出ておかないと「いよいよヤバイ」と漫然と思っていた僕は、これを契機に大学に行くために勉強を始めることにしました(と言ってもたかが美大ですが)。
僕は高校には行っていなかったので、まず大学を受験するための権利を獲る為の”大検(大学入学資格検定)”を取得することにしました。
大平さんを見習って、無学だった僕も小学生の”算数”、”国語”の教科書から書店で購入して人生で初めて本気で勉強を始めました。

ダウンロード (2) 



大検は、ぼくの時代は2001年以前の試験で、合格ボーダーラインも今よりは高いですし、必須科目は11科目。おまけに年にたった一度の試験(8月)だったのに対して、今は8科目。しかも試験が年に2回に増えています(大検は2001年から科目数及び試験回数の変更が始まった)。
4ヶ月の勉強で11科目のうち10科目取得したけど、たった一科目逃したために翌年夏の試験まで一年間待った僕は「(今の受験生は)すげーラッキーじゃん。。。」思ったものです。
大検(現在は高卒認定試験という名称)についての詳しい話はまた後ほど。。


まあ人それぞれヤル気スイッチは違いますが、当時の自分にはこの本がヤル気スイッチを押してくれるキッカケでした。




当時を振り返って

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多分当時の自分は”生きがい”が必要だったのだと思います。
生きる意味をしょっちゅう考えていました。
生きる為の意味を見つけて何かに頑張りたかった。
それで何も取り柄のない自分に自信をつけたかったのだと思います。
この頃、映画雑誌の人物などを観たまんま描いたりして、絵は描いていましたが、自分の絵を誰とも比較したことも無いし、中学以来他人の絵すら観たことがなかったので自分の絵が「上手」などとは全く思えず、むしろ
好きな絵も下手だし、スポーツも出来ないし、頭も悪いし、友達もいないし、(人間的に)弱いし、なんにも無いんだなぁ。。」
そう信じていましたし、実際そうだったと思います。

でも今でこそ思えるのですけど、何かに秀でたものを持っている人のほうが少ないし、なにも無きゃ無いで良いのですけどね。

DSC_0098c4.jpg ←10代の当時部屋で描いていた油絵 (クリックで拡大)
(映画雑誌に掲載されてる写真を参考)




大検合格。そして。。

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さて一年越しに数学だけ受験して合格。
これで当時必要だった全11科目を取得したので晴れて大学を受験出来る権利を取得しました。
(でも正直大検などより、高校を卒業した人の勉強量のほうが圧倒的に多いです。
大検はあくまで大学を受験するための権利でしかありません。)


「とりあえず大学に将来は行っておいたほうが良いんじゃないか」
と思って取得したので、
「行きたい大学が出来たら、いつかそのうち受験しよう!」
くらいに構えていました。

そしてそのまま数年が過ぎーーー


自分が「絵が好きなので美大に行ったら良いのでは!?」と思いました。

それからそのまま独学で自由気ままに勉強と絵を描いていました。
そしてそのまま雪の降る中の2月の真冬の受験で初めて美大に行き受験してきました。


ー後編へ      

ーーーーーってめちゃめちゃ長くなってしまって、この記事に更に時間がかかりそうなので不本意ですが続きは、また次回にしますm(_ _)m(パート②とか嫌だとか言ってたのにスミマセン)

色々と話すことはまだあるので、もうしばらくお付き合いください。



横浜で最後のデッサン会

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磯子でデッサンモデルやってきました。

モデルもしばらくオフにしていたので正直すっかり忘れてて、
つい二日前に

「もしもし、すーさん?○日大丈夫ですか?。」
「はい。え?なんでしたっけ?」
「モデル。頼んだでしょ。」
「ああ。はい!」←まだ良くわかってない。
「よろしくおねがいしますねぇ。」
「はい~。」
ガチャリ

「あ、そういえばモデルの約束してたんだっけ。。(^_^;)」

連絡が来て慌てて思い出しました。

場所は横浜市社会教育コーナーという場所を借りてのデッサン会でした。



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練習ポーズが終わって、
デッサン会のモデル調達担当の方から「脱いだほうが良いんじゃない」と脱衣の希望もありましたが、顔の肌荒れが気になっていましたし面倒だったので着衣にさせていただきました。



というかポーズですが、
前回片足を組んで痛みで苦しんだのに、また足を組んでます(゜o゜;

まあ~今回は大丈夫でした。

でも実はこれが最後の顔合わせでした。
最後なのに突然今まで荒れたことの無い皮膚病に顔がなってしまったので(今は治りました)、気分も乗らず食事も制限していて終わった後の飲みも参加できなかったのがちょっと寂しかったです。

数ある公募団体の中の一団体ですが、ズケズケと最初っから中に深く踏み込んでみて、良い意味でも悪い意味でも、いろいろと解ったことがあったのが収穫でした。
とにかく他の団体とは違って皆仲が良くて派閥も無い団体でした。

これが魅力であり、逆に貪欲さの無い団体の弱さでもあるのだと思っています。

最後は団体へ自分が思ったことを全部伝えて挨拶してお別れしました。
↓そのときのことが載ってる会報

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ぼくってフワッと飛んでいきそうな華奢なイメージなんですねえ(笑

とにかく色々と良い雰囲気ではある会で、変な計算の無い会ですから公募団体に所属してみたいという方は是非とも本展に参加されてみても良いと思います。

本展リンク

ではでは。


日の出の早朝ランニング

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日の出の河川敷:神奈川県横浜市

最近もっとスタミナをつけるために頻繁に走るようになりました。

今までも筋トレと兼ねてたまに走っていましたが、最近は3日おきです。

毎日走ると膝が壊れそうなので回復したら走っています。

最近は朝は寒いですよね。
朝起きるのがシンドいですよね。
僕も起きて寒空の中を走りに行くのは、かなりシンドいですが日の出を拝みながら朝走りに行くと一日のスタートが気持ちよくてテンションが上ります(・∀・)☆

一番好きな時間が夜明け前の真っ暗なときに走り始めて、走っている途中から夜が明けて日の出が出てくる時刻です。
なんか不思議な感動のような気持ちが静かに湧いてきます。

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電柱と夕日


日の出がこういう雰囲気だと、
はるか先まで遠く続く電線の鉄塔にかかる日の出が哀愁を帯びている感じがします。
自然の中で寂しさを感じると人生でしなければならない何か大事なことに気づける感覚がしてが好きです。
 
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この寂しさってどこから来るのだろうかと思ったとき思い出しました。
日の出じゃなくて日没ですが、
昔子供の頃家族で見ていた「金曜ロードショー」のテーマ曲です。




海だか湖かわかりませんが夕日が黄金に反射して海面のところでトランペットを吹いている映像。
なぜか悲しい気持ちにいつもなっていました。
寂しくなると、「人も自分もいつかは必ず死んじゃうんだなあ。。」そういうことをよく考えていました。
生まれてきてどういう人生を過ごして、自分は何をして生きていきたいのか。人生観と死については今でも常に考えています。
日常では気づけ無いことを寂しさは僕に教えてくれます。




そういえば、
夏場のときは朝は雀がまだ暗いうちから外で暴れまわっていました。
空中に飛んでいるセミや虫をキャッチして食べていました☆
夏場はセミが主食になってそうです。
セミの死も無駄にはなっていないと思うとホッとします。
走ってると道路でひっくり返っているやつがいたりするので、草むらか木に貼り付けたりしてました。アスファルトの上で死ぬよりいいです。

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いつものジョグングコースです。
写真の木は桜の木です。
駅に行く方面は春は長い桜並木の道に変わります。

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駅とは反対に行くとこういう感じです。
横浜市の中でもローカルな場所です。


こうやって走っていくうちに一気に明るくなって気分もテンションも上がるんですよね。



そんでもって最後に緑のトンネルを抜けて帰ります↓↓
これがぼくの日課です(^_-)-☆(筋トレもね)

Good Luck☆
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栄光の未来へ 


久々にアートモデル(メンズ)してきました

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最近色々とアート意外で忙しくてブログがおろそかになってます( ´Д`)

そういえば久々にモデルやってきました。
去年から関わってきた会のデッサンのモデルが連チャンで僕ばかりだったので、男性陣を気づかって前にやったとき以来、モデルは断ってきました(普段は女性のヌードらしいです)。

今回は◯美会とか言う会で。
講師の先生もどこかの団体所属でしたが、もう忘れました(汗

会場の最寄り駅は磯子方面の南太田駅という場所でした。


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少し早く着いてまだ空いてなかったので公園で熱い珈琲を口にしながら待機。
朝公園でノンビリとした時間。。イイです。

時間になって施設に入館。
フォーラム南太田という施設です。


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ランニングに短パンが指定だったので、トイレで着替えて入室。
会の方々と別の団体から指導に来た講師の方に挨拶して座りか立ちかポーズを決めてもらって、さっそく開始。

ただ正面に座るだけだと味気ないと思って、片足をひざに立てた座りポーズにしましたが。。。_:(´ཀ`」 ∠):
早くも2ポーズ目くらいから足の痛みに耐えながら感覚も無くなっていく始末。


しかも休憩時間を決めるときに、
「5分?10分?どっちにしますか?」
って選択が与えられたのにも関わらず、

「5分で大丈夫です(ニッコリ笑顔^^)」これが大失敗! (・∀・;)

と自分で言ってしまったので、カッコつけて途中から変更を言い出せず。。本気でかなりキツかったです。
休憩を10分から5分にすると四時間で2ポーズは増えてしまうので、モデルをやられる方は休憩は必ず10分にしてください!(そんなんやる人いないと思いますが)
大体の教室が20分ポーズやって10分休憩か15分ポーズして5分休憩な気がします。



あと人物のモデルやって今回一番気になったこと。。

それは講師の方の会話です

僕が片足の痛みに耐えながらポーズしている最中、講師の方は一人づつ絵を見ながら的確に指導していきます。
講師「そこもっと大きく描いていいからね。」
生徒A「はい。」
講師「胴は意外と短いからね。もっと短く描いたらいいよ。」←ちょっとうれしい^^
生徒B「ああ、はい。」
講師「足は筋肉で逞しいから太く描いてね」
生徒C「はい。」
講師「顔は長いですからね。。そこらへんにも注意してくださいね。」←ここらへんから「ん?」
講師「あとね。鼻は低いですから。もっと鼻低くね。」←おいおいおい
生徒D「わかりました。」
講師「もっと顔長くて鼻低いよ。。しっかり見ましょう。」
生徒E「はい。」


っておいおい!
めっちゃ声聞こえてますけど〜⁉️⁉️!(◎_◎;)

モデルさんに普段気を使われないお方なのかなぁ〜?笑
顔長い、脚太い、鼻低い。。。

まぁ〜普段自分で意識してない事がわかりました(笑
確かに顔は長いですが。。。
僕の鼻って低いんですね!笑
初めて言われました。
でも他の教室でもこういう講師の方って居ますかね?
教室が無音で緊張感がある雰囲気だと丸聞こえになるからかなり聞こえます。


それと講師の方は70近くに見えましたが、昔は多摩美の学生だったらしいです。ぼくの先輩ですね。
お昼は蕎麦をごちそうになりながら講師の方の学生時代のお話を聞きました

なんでも学生時代はめちゃくちゃ遊びまくって何度も留年して、ご両親も我慢の限界に達したあげく退学したらしいです。
昔は如何にご自分がどうしようもない人間だったかを僕に教えてくれました(笑
多分伝えたいことの真意は、
「焦らなくていい。」
ということだと思います。
若いときはめちゃめちゃだったけど、今はこうして指導などしてるし大丈夫だよということを伝えてくださったのかなと。

ご年配の方々によく言われますが、これって励ましの言葉ですよね。

でもノンビリし過ぎるとあっという間に年月は過ぎて行きますからね。
人生は案外短いとも思っています。


教室に戻って
「早く終われ~」
と思いながら、なんとかポーズを終えて、作品を並べて講評の始まり。

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一部はこんな感じです。


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こうやって自分が描かれた作品を見ると最初はなんだか「恥ずかしい」って感じもありましたが、今は「こういう風に見えてるんだ」と普通に思えますね。
確かに足は太く描かれている気がします。
それと低い鼻ね(笑
何やらしっかり描かれているような(笑

デッサンはその場で形を捉えて正確に出力する力が出ますが、色々描いて頂いた中でも一番形が正確だった人はイラストをやっている方でした。
漫画とか線で物を描く人は形を捉えるのが通常より上手な気がします。

次の日は上げてた足だけ筋肉痛でした。
今度は自分がデッサンしてみたいですね。


コンセプチュアルな現代美術の人物画展:「Zinbutsu」

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 企画グループ展
「Zinbutsu」←リンク先に飛びます

[出品作家]
舩木大輔/こうぶんこうぞう/大井盟子/二口貴之/SUE/犬飼真弓

2018年12月1日(土)~24日(月)
開廊時間/ 12:00 - 19:00[毎週 火・水曜日休廊]

12月1日(土)午後5時よりアーティストトークを開催します。
12月1日(土)午後6時よりオープニングパーティを開催いたします。

人はみな、物事を見たいように見る。自分の都合の良いように見る。あるいは、多くの他者と同じように見ようとする。
特に人間は、環境や年齢、人種によって表層的にも変化する。内面はもっと複雑で、一人の人間が様々な面を持ち、それ
を隠す事もできる。ゆえにこの世界は多様性に満ちている”はず”である。しかし人々が意識して人の、物事の奥深くを
理解しようとしない限り、本当に多様性を認め合う世界の構築は難しい。
本展を通し、一人でも多くの鑑賞者に、目の前にある人・モノの奥を見ようとする事の大切さが伝わることを願う。


[場所]

Masayoshi Suzuki Gallery



〒444-0044 愛知県岡崎市康生通南3-20 STAGE BLD 2 1F

Open Hours:12:00~19:00
[火・水曜日休廊]
Tel & Fax/ 0564-28-1317


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・この展覧会について


告知が遅すぎて意味ないと思いますが、
明日12/1(土)から名古屋のギャラリーでグループ展を開催します。

今回の展覧会は「Zinbutsu」ということで人物画が中心になります。

この展覧会の強みは今までデパートでやってきたグループ展とは違って、
現代美術に特化している点です。

アート作品を視覚的にのみ捉える日本式の絵画とは違って、作品のコンセプト、また作家のステートメントなどを重視している作家で構成されています。

観てもらう・感じてもらう展覧会ではなく、理解してもらう展覧会だと思います。




・現代美術

現代美術は解らないとよく聞くセリフですが、芸術が好きな方々は年配層がやはり多い気がします。
そういった少々クラシックな方々が現代美術の食わず嫌いな理由は、”解らない”の前に”視覚的にまず好みじゃない”のが理由なのかな~と思います。
日本の美術は「未知の、なんだかよくわからない」ような新しいモノよりも、「綺麗な景色・人物画や癒やされる」ような共感出来るモノの方がほぼ全ての市民権を得ていると思います。
解らないけど見に行くケースは有名だから観てみようという知名度だけです。

まあ日本で文句があるなら海外しかないですからね。


余談ですが、以前は現代美術ユニットとしてアートジャングルというものに所属していました。
アートジャングルは現代美術のユニットとしての当初の目的から次第に離れていった気がしました。
というのも明確なコンセプトもステートメントもない現代美術ではない画壇の人たちが参入してきたからです。ぼくは自ら手を引きました。展示で成約の多いデパートでの展示も自ら手を引きました。
日本のアート業界の全てに嫌気が差しています。

だからと言って気持ちは折れていません。
行動して結果が出るまで諦めません。
活動拠点を大きく変える計画です。
結果が出たら教えますね。


・念押し

さて今回の展示はアートフェア関連のキッカケから出来たもののようです。
自分はアートフェアは全く参加していなかったのですけど、久々のグループ展です。

お近くの方は是非ともご高覧いただきたいです。
新作も展示してありますし、僕はまあまあ大きな作品もちらほらあります。

それと、明日12月1日はオープニングで作家が集まります。
ぼくは行けませんが、海外でもハイレベルな活動をされている作家もいますので、よろしくお願い致します☆


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